早いもので座標(コラム)も3回目。折り返しです。
今回はちょっと昔の話なのですが、「仮設きずな新聞」時代のことを書きました。
毎年8月12日前後にこの住民さんのことを思い出すので、私としては「ニュース性」がある内容だったのです
(この記事は9月1日に掲載になったものですが、原稿を書いていたのは8月中旬なので)。
でも、後から読み返してみたら、「随分懐かしい話しちゃって!」という感じですし、
「仮設住宅がなくなった今は状況が違うのでは?」と読者に思われてもおかしくないですし、
復興公営住宅にお住まいの方も「私は違う」と気を悪くするんじゃないかしら・・・
あんまり良くなかったかなぁ・・・と、ちょっと凹みました。。。
が、今月、復興公営住宅に新聞を配りに行ったとき、とある住民さんが言うのです。
「この間は私のことを記事にしてくれてありがとうね」と。
私が書いたのはまったく別の方のことで、この住民さんのことを書いたわけではありません。
私がキョトンとしていると、「私の気持ちを代弁してくれて、ありがとう」と。
その住民さんも、震災で奥様を亡くして一人暮らしになり、近くに家族や親せきもいないという方でした。
しかし、昔は教師をしていて、教え子が遊びに来てくた話などを聞いたことがあり、正直そんなに孤立しているイメージのない方でした。
それでも言うのです。
「家族がいないっていうのはね、寂しいんだよ。その気持ちを書いてくれて、うれしかった」と。
「あー記事にして良かったんだ」と、ホッとしました。
全員が全員こうではないけれど、
こういう人もいるんだよということを伝えられて、良かったと思います。
震災から10年、皆さんに考えてもらいたいです。
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