ピコ太「まま、かせつじゅうたく ほぐしてるよ」
ママ「そうだね、この間最後の住民さんが引っ越して行ったからね」
ピ「あのおんちゃん どごさ いっだの?」
マ「復興住宅だよ」
ピ「そいづはいがったね!」
マ「うーん、どうかなぁ… あのおんちゃんは本当は湊にお家を建てたいって言ってたんだけど、いろいろあって、まだ建てられてないからね… とりあえず、仮設住宅を解体しなきゃいけないから、空いてる復興住宅に入った感じだからなぁ…」
ピ「そっかぁ…とりあえず、なんだぁ…。でも みんなもう おうち たててるのに、どうして おんちゃんは まだ たてらいねがっだの?」
マ「湊地区はね、津波が来たところで、区画整理っていうのやっててね、新しい道路作ったり、土地の境界線はここっていうのを決め直したり、そういのに時間が掛かってたの。物事には順番があるからね、これが終わらないとこれに手付けられないって、そういうのが積み重なって9年になっちゃったのかなぁ」
ピ「そっかぁ、んで おんちゃんの どりょくが たりねがったわけで ないんだね」
マ「もちろん、もうお家を再建した人たちはたくさん頑張ったと思うけど、まだ再建出来てない人もすごく頑張ってるんだよ。ママたちは復興住宅にも新聞配ってるから、またおんちゃんにも会いに行くよ。先月も引越し準備や手続きが大変だーって言って、体調悪そうだったし、心配だからね」
ピ「んで、おらも いぐがら」
マ「じゃあ、一緒に行こうね。てゆーか、ピコ太、いつから石巻弁喋るようになったの?!」
ピ「おら、まいにづ いすのまぎの おじいさん おばあさんだづと はなすてるんだもの。いすのまぎべん おぼえるっちゃ」
マ「そ、そっか。ピコ太、おばあちゃん達と仲良しだもんね」
ピ「んだがらっしゃ〜」
マ「・・・」
***
今月、石巻の仮設住宅にお住まいだった最後の一人が、仮設住宅を退去しました。
◆石巻で最後の住民がプレハブ仮設から退去 住まいの復興一区切り
https://sp.kahoku.co.jp/tohokune…/202001/20200118_13014.html
もっと「おめでとう!良かったね!」「私たちもここまでよく頑張ったよね!」
というのを想像していたのですが、何とも「追い出され感」の否めない、
あまり気持ちの良くない終わり方…というのが正直なところです。
何より、まだ団地内に住民さんが住んでいるのに解体工事が始まったのは、とても残念なことでした。
工事のスケジュールを決めた方々は、ご本人たちの気持ちを想像したことがあるのでしょうか。
それがどれだけの健康被害を生むか、考えたことはあるのでしょうか?
*
石巻の仮設住宅では、2〜3年ほど前に「集約」が行なわれました(入居数の少なくなった団地から集約拠点団地へ移転させる)。
そのこと自体は、団地のコミュニティや治安維持といった住民さんへのメリットもあるのですが、
中には引越しのスケジュールがとても急で、住民さんが疲弊しているケースもありました。
その住民さんは、移転先が決まってから2週間で引越しをしなくてはならず、
しかも引っ越しラッシュのため平日にしか引っ越し屋さんを頼めず、
朝もともとの仮設住宅から登校して行った娘さんは夕方新しい仮設住宅に帰ってくる、という状況だったそうです。
住民さんは、新しい仮設住宅ですぐに荷解きして翌日…いや当日から普段通りの生活が送れるように、
2週間毎日夜中まで起きて荷造りをがんばったそうです。
仮設とは言え、家族5人が6年も住んだ家です。引越し準備はさぞ大変だったろうと思います。
そして、引越しの数ヶ月後、住民さんは脳の出血で倒れてしまいます。
一命はとりとめたものの、半年間入院し、今も半身不随です。
お医者さんには、引越しのストレスが原因だろうと言われたそうです。
「本当は二週間で引越ししないといけないところだけど… あなたは5人家族で、仕事もしてて、
高齢の親御さんや子どもさんもいて大変だろうから、1ヵ月後でいいですよ!ゆっくり、無理しないでね!」
って、言ってあげて欲しかった。
失った右半身の自由は、もう完全には戻らないのです。
*
昨年10月以降まで仮設住宅に残られていた2軒の方々のお引越し先を伺っていたので、今月も訪問しました。
私たちの訪問をとても喜んでくださり、
また体調不良やこの先の不安を訴えられていらっしゃったので、この先も訪問を続けていく予定です。
*
7000軒もあった仮設住宅がなくなったのは、確かにひとつの節目ではあると思う。
けれど、そこに暮らしていた人たちの生活は、今も続いていることを忘れないで欲しいです。
(編集長 あき)
***
私たちの活動を応援してください!
◆賛助会員募集!年会費3000円~
http://www.kizuna-shinbun.org/donation/
- 投稿タグ
- ボランティア