【私たちは誰のために活動するのか】

今週末は高校生のボランティアさん達と一緒に新聞配布でした。

新聞配布を終えて事務所に戻った後、いつも「振り返りの会」をします。
今日の振り返りの最後にみんなに伝えたことを、備忘録として書いておきます。

この活動の大切な部分を、
改めて思い出した出来事でした。

(キレイな文章にするのが難しいので、私が喋ったそのまま調です)

***

最後にね、今日の帰りの車の中であったことについて、ちょっと話したいんだけど。
私の車に乗ってなかった人もいるから、一応説明しておくと、確か◯◯君が「ゴミになるから、新聞いらないって言われたー」って言って、△△ちゃんや◻︎◻︎君が「えーまじ?!」「ひどー!!」という感じで盛り上がっていたのよね。
そのことについて、3つだけ話したいなと思う。

まず一つは、この新聞書いた人がさ、つまり私ね、同じ車に乗ってる訳じゃん?
私がそれ聞いたときに、どう思うかって、想像しようよ。
これまで仮設きずな新聞の頃から合わせて、合計160回くらい新聞出してるんだけどね、私はそのうち100回くらい徹夜してるわけ。
この新聞読むのはさ、震災で大変な思いをした、家族や家やいろんなものを失くした、そういう人たちなんだよね。
だから、私の選ぶ言葉ひとつで、ものすごく傷つけてしまったり、下手すりゃ自殺しちゃう人もいるかも知れないって、そういうこと思いながら毎回新聞作ってるの。
それに新聞書いてるのは私だけじゃない。10人くらい記者ボランティアがいて、その多くは地元の人、つまりその人たちも被災してる。そういう人たちが新聞書いてるんだよ。
それをさ、「ゴミになるから」って言われて、どんな気持ちになるかなって、想像しようよ。
大きな声で、笑いながら言うことじゃないよね?

で、2つ目は、今のと矛盾するけど、私は「ゴミになるから新聞いらない」って言われても傷つかないんですよ笑。
私たちは6000部新聞配ってるからさ、6000人相手にしてれば、「ゴミになるから新聞いらない」って言う人が5人10人居ても、まぁ不思議はないよね。
10人って0.2%だよ。100人いたって2%以下。
6000人が6000人「きずな新聞大好き!」「この新聞は素晴らしい!」って言ってたら、そっちの方が気持ち悪いよ笑。
あと私はこの活動長くやってるから、新聞いらないって言う人が、どうしていらないのかを知ってる。
雄勝とか浜の方の人たちで、年齢がかなり上の方の中には「小学校しか出てない」って人が結構いて、「漢字がまったく読めない」んだって。ちょっとびっくりするけどね、「同じ日本で!」って。でもその時代は、小学校や中学校卒業したら家業手伝うのが普通で、学校に行く人は珍しかったんだって。「漢字読めないから、新聞読めない」って人、私は何人か会ったことある。
あとは、「読む」っていう文化があまりないというか、「読む」ことが好きでない人もいる。世の中いろんな人がいるからさ、そういう人もいるよね。読むことが苦痛だっていう人とか。あと、うつ病とか精神疾患の方とかは「読んでも意味が理解できない」っていう人もいる。
あとはさ、「ボランティアの世話にはならん!」みたいな人もいるわけ。ボランティアにあまりいいイメージのない人。考え方、感じ方は人それぞれだからさ、「ボランティア、嫌い」っていう人がいてもおかしくないというか、仕方ないよね。
まぁそういう理由で「新聞いらない」っていう人がいるということを私は知ってるので、「新聞いらない」って言われても私は傷つきません。
傷つきませんが、みんなとしては私が「傷つくかも知れない」ことは想像できると思うので、配慮できる人になって欲しいなと思う。

そして最後に3つ目。これが一番大事。
どうしてその人は「ゴミになるから新聞いらない」とわざわざ口にしたんだろう?
だってさ、考えてみてよ?こんな寒い中さ、無料の新聞持って来て、遠くから来たボランティアだろうなぁっていう人に向かって「ゴミになるから新聞いらない」って、わざわざ言う???
この新聞が気に入らないとか、つまんないとかならさ、ただ黙って受け取って読まずに捨てたらいいじゃん?
わざわざ「ゴミになるから」なんて言う必要ないじゃん?
でもそれを口に出してしまうほど、心が荒んでるのかも知れないよね。
そういう人はさ、ご近所さんとうまくやれてるかな?お友達いっぱいいるかな?
みんな今日お茶っこさせてもらって、お茶だのお菓子だのご馳走になって、お土産もらった人もいたし、すごくもてなしていただいたよね。でもそういう人はさ、私たちじゃなくてもきっとご馳走するんだよ。きっといつも笑顔で、周りの人のこと気遣って、「お茶っこ飲まいん」って誘って、お友達たくさんいるんだよ。そういう人は、私はそんなに心配ないかなって思う。
だけど、わざわざ「ゴミになるから」なんて言う人はさ、周りからも孤立してるかも知れないよね。ご近所さんから変人扱いされてるかも知れないよね。もちろん、決めつけちゃいけないけど、可能性ね。そういう可能性はあるよねっていう話。
だから私は、わざわざそういうこと言う人こそ心配だなぁと思うし、そういう人のためにこそ、この活動は必要かもなぁって思う。
例えばさ、集会所借りてお茶っこ開いて、チラシ配って「来たい人来てください」っていう活動だったら、こういうことは起こらない。だって来たい人しか来ないんだもん。みんな「ボランティアさん、ありがとうー!」っていう人ばっかりだよ。「ありがとう!」って言われて、こっちはやりがい感じるし、いいよねー。だけど、それだとお茶っこに来ない人にはアプローチできない。私はお茶っこに来られない人こそ心配だなぁって思う。「ありがとう!」って言えない人のためにこそ、この活動は必要なんだと思う。
「何ご馳走になった」「何いただいた」だけじゃなくて、ぜひそういう視点と想像力を持って、これから生きていって欲しいなぁと思います。以上!

***

割合で言うと、もちろん「きずな新聞いつも読んでる!」「この新聞いいよね!」という人の方が圧倒的に多い(でなきゃさすがに続けられない…笑)。
「これまでの新聞、全部(=100部以上!)キレイに保管してある!」という人にも、両手で数えきれないくらい出会った。読者アンケートをすれば、多くの人が「これからも続けてほしい」と回答してくれる。
その一方で、新聞をポストに入れただけで「人ん家のポストに勝手に入れやがって!切手貼って送り返してやる!!」と激怒して電話して来る方(その方はうちの新聞だけでなく、ポストに入るチラシなど全てにクレームの電話をする方らしい…。それを知って少し安心した…笑)や、ビブスを着て部屋の前を通っただけで追いかけて怒鳴りつけてくる方もいる。目の前で新聞を破り捨てられたこともある(その方の家の周りは破れたチラシやDMの封筒だらけだったので、恐らくポストに入ったもの全部破く方なのだと思う…)。
あまりに執拗に拒否反応を示す方は、もしかしたらちょっとご病気なのかな…という気もする。
日常生活の中ではなかなか出会わない方々とも出会うのがこの活動。
「世の中にはこういう人もいるんだなぁ」と、学ばせてくれる。
そして、どんな人でもハッピーに生きられる社会にしていくためには、どうしたらいいんだろう、何ができるんだろうと考える。

考えても分からないことや出来ないことの方が多い。
数年前、とある些細なことで激怒して電話してきた男性がいた。その後、重度のうつ病を発症し、怒鳴る力もなくなった。私が訪問すると、何とか服を着て出てくる。
「あきさん、ありがとなぁ…」
同じ人物とは思えないほど大人しくなった彼は、夏の暑い日、部屋で一人亡くなってしまった。
彼は「生まれてきて、これまで生きてきて、良かった」と思えていただろうかと考える。彼がハッピーで生きられる社会は、どんな社会だったんだろう。
私自身は、結局何にも出来なかったんだなぁ…と思う。
でも「意味がなかった」とは思わない。私は彼と出会えて良かったし、きっと一生忘れない。

ちなみにこの彼は生前、やっぱりご近所さんに変人扱いされていた。
団地の世話人さんに「関わらない方がいいぞ」って真顔で言われた。
あんな些細なことで激昂するくらいだもの、周りはみんな怖がるわな。

世の中を良くしていくためには、もちろん知識やスキルも大切だけど、それ以上に、見えないものを想像する力や課題を発見するための視点が必要だ。

さぁ、明日もがんばろ。

(編集長 あき)

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