今回は石巻で取材をする時間がなかった…ワケではないのですが、倉敷市真備町での緊急支援活動について書きました。
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7月16日に岡山県入りし、翌日から、県内でももっとも被害の大きかった倉敷市真備町の避難所・岡田小学校に入りました。
最初の約1週間は、まさかの一人…。
毎朝6時に起き、7時には車に乗って、30~40分間車を運転して岡田小に向かいました(石巻以外で車を運転したことがない&いつも徒歩通勤の私にとっては、これだけで結構大変でした…!世の中の車通勤の方を尊敬します…!)。
朝8時に全体MTGがあり、その後は市役所職員さんや医療・福祉系の団体さんと協力しながら、さまざまなトラブルシューティング。
職業も年齢も家族構成も異なる何百人もの人が、そもそも「生活」をするために造られたわけではない学校という場で共に生活するのですから、それはそれは毎日問題が起き続けます。
それらを一刻も早く解決すべく、あらゆる手を使って、文字通り走り回る日々でした。
その合間に「岡田小避難所通信」を発行し、夜の班長会議の準備をし、班長会議では元気に笑顔でファシリテーションし、その他時間があれば住民さんのお部屋を回って声を聴き続けました。
おかげで3週間後には、ほとんどの住民の方と顔見知りになりました。
夜はだいたい22時頃まで避難所に居て、また30分運転して拠点に戻り、ミーティングに出ると23時半。
その後は3日に1度コインランドリーに行き、布団に入るのは午前1時か2時頃。
目を閉じたと思ったら、すぐ朝はやって来て、また活動が始まります。
3週間、毎日その連続。我ながら、よく頑張った…!!
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約7年前、私は石巻市内でも最も大きな避難所のひとつ、湊小学校に支援に入っていました。
運営側も住民側も、「避難所なんて初めて!!」という状況の中で、私には、ほんの少し先の未来が見えていたのかなぁと思います。
「石巻ではこんな時、こういう風にしていましたよ」
「石巻ではこの後、こんな問題が起きたりしていましたよ」
もちろん災害の種類も規模も、そして地域性も異なるので、まったく同じではありませんが、それでも石巻で見聞き体験したことが活かせる場面はたくさんありました。
湊小でお会いした方々の顔がいっぱい浮かびました。
私にいろんなことを教えてくださった当時の方々に、心から感謝でした。
実際には、ここには書けない失敗も反省も沢山たくさんありました。住民の方や市職員の方にご迷惑をお掛けしたことも、傷つけてしまったことも。
でも失敗を恐れていたら間に合わないくらい、毎日いろんな問題が起こりました。とにかく考えて考えて、同時に手と足を動かし続けないといけませんでした。
だから、失敗も含めて「よくやった!!」と思うことにしています(実際には、「絶対に失敗したくない」タイプなので、内心落ち込んでいます…苦笑)。
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7年前湊小で私と出会ってくれた住民さんや支援者の皆さん、そして今回私を3週間真備に送り出してくれた石巻のスタッフ、ボランティアのみんな、一緒に活動したPBVのスタッフ、ボランティアさん、そして、何より3週間苦楽を共にした倉敷市職員の方々に、心からの感謝を込めて。
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◆AERA 2018.8.22
被災地ルポ 真備町で避難者参加の「班長会議」はなぜ成功したのか
https://dot.asahi.com/aera/2018082100041.html
◆山陽新聞 2018.08.03
倉敷・真備の避難所で壁新聞製作 石巻の復興新聞編集長の岩元さん
http://www.sanyonews.jp/article/762866