震災から7年半が経つと、もう街を歩いてても津波の爪痕や震災直後の面影を見ることはありません。

でもここには確かに津波が来て、その時その場にいた人たちが、どのような思いでどのような行動を取ったのか―その視点は、県外から来るボランティアさん達にも持っておいて欲しいなぁと思っています。

そのため、活動の合間に時間を作って、震災関連の資料館を見学したり、震災当時のDVDを見たり、災害危険区域になってしまった場所を訪れたりしていています。

この日は街なかの資料館を見学ました。事前に予約しておくと丁寧な解説を聞くことができるため、オススメです。
県外の皆さんも、石巻の皆さんも、ぜひ一度足を運んでみてください。

(編集長 あき)

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本日は、震災関連の資料館を訪れた後に復興公営住宅へ新聞の配布を行いました。

資料館は「石巻NEWSée」と「石巻市復興まちづくり情報交流館<中央館>」の2つの場所を訪れました。それぞれ丁寧な説明をしていただき、震災当時の状況を「伝える」という視点、「後世に遺す」という視点から見学しました。

「石巻NEWSée」を運営する石巻日日新聞さんは、津波で輪転機が使えない中、手書きの壁新聞を作ったそうです。被災した市民が「正確な情報をもとに行動できるように」「希望が見出せるように」との思いで新聞を発行し続けたとお聞きしました。

「石巻市復興まちづくり情報交流館<中央館>」では、震災で発生した津波がどのように石巻市を襲ったのかを地図を見ながら説明いただきました。そこであらためて、宮城県の中でも石巻が特に壊滅的な被害を受けたということを認識できました。石巻市の産業被害総額が岩手県全体の産業被害総額を上回ることからも、石巻の被害の大きさを感じられます。また、大川小学校付近の震災時の状況も教えていただきました。大川小学校の教員の方が数名の子どもを両腕に抱くように亡くなられたとのお話を聞き、胸が詰まるようでした。二度と津波で人がなくなることがないように、正確な記録を残す資料館はとても重要な存在であると思います。

三ツ股第二復興住宅は1棟から6棟まであり、約200世帯の方々が暮らす大きな団地です。新聞の内容が住民さんとつながっていてお話が弾むと、とても嬉しくなりました。それは新聞の情報が住民の方とつながっている証拠であり、ボランティアがプラスにはたらいていると分かる瞬間でした。また、玄関先でずっとお話してくださる方がいらっしゃって、27日のお茶っこ楽しみにしているよと声をかけていただきました。ここからコミュニティが広がっていくのだなと少し実感できたように思います。

昨日の反省を生かし、本日の訪問で会話の種をいろいろ広げていけました。三ツ股第二復興住宅の集会所でお茶っこをする際にはもっとたくさんの方と楽しくお話しできるようにしたいです。そのために、資料館で学んだことなどを整理していこうと思います。

(武蔵野大 りんりん)

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今日の午前中は資料館などで震災当時の状況などについて学びました。最初に、石巻日日新聞さんが震災直後に手書きした壁新聞を見ることができる「石巻NEWSee」を訪れました。石巻日日新聞の記者の方々は、自らも被災者でありながら、地域の為に情報を発信し続けた行動力には驚きました。また、新聞には「正確な情報で行動を!」と書かれており、混乱する状況で、正しい情報を提供することの必要性を感じました。

次に、石巻市復興街づくり情報交流館を訪れました。情報交流館では、実際に押し寄せた津波の高さが線で表されていました。写真などを見ても、自然災害の恐怖を感じました。「備えあれば憂いなし」と言いますが、私の地元熊本では熊本地震後「憂いがあるから備える」と教わるようになりました。いつ起こるか分からない災害に備えて、前もって非常用持ち出し袋の用意などをしておきたいと思います。

午後は、三ツ股の復興公営住宅に新聞配布を行いました。三ツ股では、昨日よりたくさんの方からいろいろな話を聞くことができました。そのなかで、「子どもが道路で遊んでいて心配」「お茶っこに行きたいけど自分の身体が心配で、他人に迷惑をかけたくない」とおっしゃる方もいました。このような話を聞き、子どもの遊び場やコミュニティ形成という面での課題もわかりました。このような現状を知ったうえで、自分にできることを探していきたいです。

(武蔵野大 きょうこ)

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◆石巻NEWSee
https://hibishinbun.com/newsee/

◆復興まちづくり情報交流館
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/…/10151000/9200/2015030221…

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