しばらくブログのページの更新が滞っておりました!
実は、古巣のピースボート災害ボランティアセンターから要請を受け、第24号の発行直後から約3週間、西日本豪雨の被災地・倉敷市真備町に入っていました。
私が活動したのは、真備町最大の避難所・岡田小学校。
立ってるだけで汗が噴き出るような酷暑の中、毎日次々と起こる問題を解決するため、そして少しでも生活環境を改善するため、市の職員さん達と一緒に避難所内を走り回っていました。
朝目が覚めてから夜布団に入るまで、ずっと目まぐるし過ぎて、帰ってきた今も一体何が何だったのか頭が整理できていないのですが、もう少し落ち着いたらちゃんと言葉にしてみたいと思います。
地元の新聞社さんが、私の活動の一部を取材して記事にしてくださいました。実際には私だけで行なったわけではなく、多くの人たちの協力により実現したので、私の実績のように記事にされるのはちょっと不本意ではありますが…。
現地の状況が少しでも伝わればと思うので、シェアします。
最後に。
倉敷に行くと言ったときに、「留守は任せて!」と快く送り出してくれたスタッフ、ボランティアのみんなに、心から感謝です!いつも本当にありがとう!!
(編集長 あき)
http://www.sanyonews.jp/article/762866
◆倉敷・真備の避難所で壁新聞製作 石巻の復興新聞編集長の岩元さん
東日本大震災の被災者に向けた「石巻復興きずな新聞」(宮城県石巻市)の編集長・岩元暁子さん(35)=同所=が、西日本豪雨で甚大な被害を受けた倉敷市真備町地区の避難所で壁新聞を作っている。「正しい情報は明日を切り開く力になる」。その思いを込め、被災者の生活再建を後押しする話題を届け続けている。
壁新聞は、岩元さんが活動している岡田小(倉敷市真備町岡田)の避難所で7月21日に発行開始。27日までは毎日、30日から月、水、金曜に避難所の掲示板や壁に張り出している。「岡田小避難所通信」と名付けており、A3判2ページ。
医療機関まで運ぶ臨時バスの運行や、住宅を応急修理する制度の受け付け開始など、被災者の健康維持や生活再建に関する情報を丁寧に掲載。避難所に届いた食べ物をもっとスムーズに配布できないか―という被災者の声に応え、受け取る際の並び方や配り始めるタイミングを尋ねるアンケートも行った。
岩元さんは、かつて所属していたボランティア団体(東京)の先輩から支援を求められ、7月中旬に岡田小入り。到着してすぐ避難所で情報が正確に行き渡っていないのに気付いた。被災者の間では「もうすぐ避難所を追い出されるらしい」といった“デマ”も飛び交い始めていた状況に「正しい情報を示し、被災者の不安を取り除こう」と壁新聞の作成に取り掛かった。
石巻復興きずな新聞は、石巻市の仮設住宅向けに2011年10月~16年3月に発行されていた無料紙の後継として、同年6月に岩元さんが創刊。A4判4ページで毎月10日、市内の仮設住宅と災害公営住宅に計約6千部を無料配布している。
岩元さんは同紙の編集作業のため、今月6日に石巻市に帰る予定。「被災者に寄り添う新聞の発行を止めてはいけない」。岡田小の壁新聞はボランティア仲間が引き継ぐ。