今年1月、東京の専修大学から調査団が石巻にやって来て、「復興とは何か」をテーマに、石巻で活動する3つの団体に聞き取り調査を実施していかれました。
その結果をまとめたものが完成したということで、シェアします!
(私の喋り言葉がいかに拙いかが分かってしまうので、本当はあまりシェアしたくないのですが…、私の早口を文字起こししてくださった研究員の皆様に敬意と感謝を表し、シェアします!)
全32ページの超大作レポートで、全部読むのは大変だと思いますが、調査団のメンバーの方々が書いた「おわりに」の部分のうち、きずな新聞について書いてくださっている部分だけ、下記に抜粋します。
(でも、他の団体さんのインタビューや考察もとても良いので、ぜひそちらもお読みください)
私たちの活動の苦労や困難や工夫や成功事例が、他の地域で将来起こるかも知れない災害時に活かせるといいなと思います。
(きずな新聞 あき)
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『復興ステークホルダーの探索的再構築に関する研究実践』
――被災地・石巻での聞き取り調査から――
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/geppo.html
5.おわりに
5-1.3 団体インタビューの知見・論点(きずな新聞の部分のみ抜粋)
岩元暁子さんの「きずな新聞」はずっと愛読してきたが、受け手に手に取ってもらい、読んでもらうための工夫をあらためてうかがうことができた。「こんにちは~きずな新聞です」。元気な声で仮設を一戸ずつ回る岩元さんの配達作業に同行したことがあるが、ボランティアも含めて真心を届ける「手紙」だからこそ、入居者は扉を開けるし、多くの人が全号保管もしているのだろう。
インタビューで「なるほど」と唸らされたのは、岩元さん自身が「皆さん、大丈夫ですか」と呼び掛けるようなタイプより、「私、頑張っているのですが、ダメなのですと言って住民さんから励まされるようなキャラ」を心掛けているという点である。被災者支援の核心とも言うべき至言だ。
被災地では直後からさまざまな支援が入るが、多くは地元に対し「支援する」、「される」という固定的な関係にとどまる。仮設住宅からなかなか脱することができない入居者は、さらに「見守る」「見守られる」という行政・支援側との関係をなかば〝強要〟される。どうしたらこうした方々の力を引き出すことができるのか。その一つの解が岩元さんのような「キャラ設定」かもしれない。人は相手から心配されるより、相手を思いやり、心配する方が主体的な立ち位置になれる。電話したり、メールを送ったり、野菜を送ったり。誰かのために行動という次の段階に及ぶのだ。被災地で「孤独死対策」、「見守り」に日々専念する多くの方に、一歩引いて考えてほしい視点である。「あなたの一生懸命さが、見守る・見守られるの固定的な関係をより強固にしていませんか」と。(所澤新一郎)
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5-2.首都直下地震後の復興まちづくりへの示唆(抜粋)
この 3 年間の研究活動を通じて、避難期から応急居住期、さらに復興まちづくりへと視野が広がる中で、2017 年度グループ研究 B「復興ステークホルダーの探索的再構築に関する研究実践」(代表:飯考行)にも参加する機会を得て、石巻の震災復興の現場に対峙する様々な人々の取り組みに触れたことで、都市再開発事業や土地区画整理事業といった復興都市計画事業という従来の固定的「復興」のイメージから離れ、個々人の生活へ具体的なイメージを膨らませることができた。
例えば、石巻復興きずな新聞舎の岩元氏からの「復興住宅に移るのはゴールではない」、「(お茶会などのイベントに)来ない人が心配」といった発言や、復旧・復興期の住民の情報ニーズの具体的内容をうかがった。復興公営住宅へ移ることで住まいの再建は完了したと思われるところであるが、その先では物理的にも人間関係も遮断され、隣に誰が住んでいるのかわからない、仮設住宅のようにイベントもないし、ボランティアも来ない、というような実態があるそうだ。
石巻復興きずな新聞舎では、仮設住宅のみならず復興公営住宅へも手づくりの新聞を手渡しして周り、スタッフと住民に自然とコミュニケーションが生まれている。手作りの新聞を渡すというスムーズな形で、結果として戸別訪問となっており、「(お茶会などのイベントに)来ない人」へもリーチが伸びている。そして、ご近所さんに話せないこと、行政への不満など多様な語りが引き出されている。記事は、医療健康系、まちなかの情報、防災・減災、市民やスタッフのエッセイと多岐にわたっているが、首都圏被災時に多様な情報が希求されるであろうことを想起した。(佐藤慶一)