これまで「石巻復興きずな新聞」の活動に参加した県外からのボランティアの声をご紹介します。
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ボランティア参加者の声 Vol.1
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「(活動する上で)覚えなければならないこと」というのは少なくて、初日のオリエンテーションのときは「簡単そう!」と思いましたが、そんな安易な考えはダメなのだと思うくらい、とても大変でした。活動初日は想像を超える緊張で、最初の方は上手く話せず、どうしていいかわからず、泣きそうになったこともありました。でも、2日目からは一日が終わるのがあっという間で、住民さんとも密度の濃いお話ができたと思います。
中には、お茶っこさせてくださって、3.11当時の話を話してくださった方もいて、聞いていて本当に涙が出そうでした。小さい子から、お年寄りまで、幅広い年齢の方と出会うことができました。1人1人の言葉がすごく重くて、学ぶことばかりでした。
印象的なことはいくつもあって選べませんが、開成団地で出会ったお母さんと仲良くなれたことが良かったです。そのお母さんは1人暮らしですが、本当に元気でたくさんのイベントで3.11のことをお話されている方です。お孫さん2人を両脇に抱きかかえたまま津波にのまれ、1人を流してしまったことをすごく後悔したまま一日を過ごし、翌日奇跡的に、流されたお孫さんが助けられていて、再会できたという素晴らしいお話をして下さいました。お茶っこさせて頂いて、石巻名物のクジラやホヤを使ったお料理をたくさんごちそうしてくれました。名前も覚えてくれて、お母さんと出会えてよかったです。
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最後の日に訪問したおばあちゃんとの出会いが印象的でした。震災前にご主人を亡くされ、おひとりでお家で被災されたそうです。「このまま津波にのまれちゃえばいいか」と思ったそうなのですが、ご近所の方が車で助けてくれたそうです。仮設住宅に住むようになってから、「やっぱりこんな辛い思いをするなら、津波にのまれればよかった」と思う日ばかりだったそうです。私は活動中、そのように話す方にたくさん会ってきたので、「うんうん、つらいね。でもせっかくご近所さんから助けてもらった命、息子さんが支えてくれる命だから、前を向いて一緒にがんばりましょう」と言えました。その言葉を聞いたおばあちゃんがどう思うのかわからなかったですが、「一緒にがんばろう」って言ってくれました。何も起こらないはずの3月11日がたまたま三陸沖で、罪のない人々を殺してしまう日になってしまいましたが、そのつらい経験を、つらくても話してくれたから私達ができることを精一杯やらなきゃと思えました。
私は教育学科で学んでいて、将来は教員を目指していますが、私は教員生活が終わるまで、震災のことや今回の経験を伝えていこうと決意しました。被災者の方々と話しをしている時に想像してしまって涙がでることもありましたが、この3.11をつらい話で終わらせないようにするのが私たちの仕事です。
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この活動は、とてもシンプルで仮設住宅に住んでいらっしゃる方と楽しくお話しをするというものです。最初はとても緊張して、足がガクガクして声も震えてしまうと思います。私は特に、人とコミュニケーションをとるのが苦手だったので1日目は精神的にも体力的にもとても疲れてしまいました。ですが、2日目に地元のベテランボランティアさんに「この活動は個性を生かして、自分なりのやり方でいいんだよ。正解なんてないのだから」と言われてから、とても気が楽になり、「会話を楽しむ」「その住民さんとの時間を楽しむ」ということに専念することが出来ました。
私のもっとも印象に残った出来事は2日目にお茶っこをさせて頂いたなまりの強い元漁師のおじいさんです。鯨を獲っていた時のお話しが面白かったので印象に残りました。普段なかなか鯨は食べないですし、縁のない話だったのでワクワクしながら聞かせて頂いていました。また、「普段仮設住宅に一人暮らしをしていて、あまり友達がいないから寂しい」という悩みも聞かせてくれました。だから私みたいな若い人がくると、孫みたいな気がして、つい可愛がりすぎてしまうというような話をしてくれました。とても嬉しかったです。
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